「情報の生産性を起点にして、産業構造/バリューチェーンの組替が起きる。」 前回は、そういうお話をさせていただきました。となると、次は、「じゃあ、その組替は、誰がどこから、どうやって始めるの?」ということになります。
組替を起こす「最初の一撃」はどこから来るのか。今こそ、そこに一撃を加える創造的な人材が求められる時代。そうなりがちですよね。害悪なのは、既存のラインマネージャーであり、必要なのは、「自由に創造性を発揮するアイディアマン」。今回のエントリは、これが本当かどうか、そこをテーマにしたいと思います。
社内や周囲を見渡すと、確かに創造的なヒトっています。しかし、そういう人たちが本当に自分で世の中を変えたことって、どのくらいあるんでしょうか?着想は、確かにそうかもしれませんが、それでそのとおりに世の中が変わったことって、どのくらいあります?でも、そうだとすると、それは何故??
実は、年末にご紹介したT.レビットの論考集(「マーケティング論」有賀裕子、HBR編集部訳)の60年代論文の中に、まさに「アイディアマンの大罪」("Creativity is not enough")という小論があります。まずは、それを簡単にご紹介しようと思います。
1.アイディアマンは無責任
なぜイノベーションは稀にしか実現しないのだろうか。最もよく耳にする応え、そして私の見たところ最も罪深い答えは、人々が組織に隷属させられ、創造性を身につけられずにいるというものだ。その主張によれば、産業界が創造性をみなぎらせ、進取の精神に満ちた人材を多数採用してアイディアを披露するチャンスを与えれば、アメリカ企業の問題は全て解決するという。
T.レビットは、このような形で本論を切り出します。そして、次のように言う。
だが、今日の企業組織に多大な注意を払い、そこで働く人々と自由かつ素直に意見を交わせば、必ずや興味深い発見が可能なはずだ。創造性、そして創造性あふれる人材は不足などしていないのである。問題は別のところにある。・・・(中略)・・・
アイディアを次々と生み出す人々は、たいてい組織をどのように動かせばアイディアをかたちにできるかを知らない。とりわけ前例のない画期的なアイディアを実行する方法を知らず、多くの場合、「アイディアは放っておいてもイノベーションに繋がる」とう理解しがたい考え方に染まっているようだ。このような偏見では、着想とイノベーションは同義語になる。この種の考え方にとりわけ強く毒されているのが、ブレーンストーミングの信奉者で、自分たちの流儀こそが企業を救うと信じて疑わない。
ずいぶん厳しいなあと思いますが、他方で、とても40年前に書かれた論文とも思えません。確かに、冷静に考えてみると、だいたい自分が思いつくようなアイディアというのは、誰か他の人もいっているもの。ブレストだって上手にやれば、確かに、モデレーターの能力次第で、何かしらの発見はだいたいあるものだと思います。
例えば、ネットを活用したサービスこそビジネスモデルが勝負って、みんなよく言うし、そう考えますけど、そのアイディアの原型は、だいたいシリコンバレーで90年代後半に語り尽くされていた感のあるモノばかり。そうそう独創的なものなんてあるものじゃありません。
イノベーションって、冷静に考えてみれば、独創性というより、必然性の積み重ねによるところの方が大きいのではないでしょうか。そして、必然性が積み重ねられるところからスタートしないと、結果として、独創的なことも実現できないのではないでしょうか。
ヒトが、過去の大人物の何を賞賛しているかを考えてみてはどうでしょう。その多くは、「一撃」となるシーズへの着想ではなく、それを実現するためにリスクを背負い苦戦する苦闘プロセスそのものであることが圧倒的なのではないでしょうか。
2.規律の必要性
日々激務に耐える幹部社員は新しいアイディアに拒否感を示す可能性が高い。大きな重圧を課せられた人々は、既存事業を円滑に動かしていくことを主な責務と捉えている。 ・・・(中略)・・・現状の変革に繋がる提案に及び腰になるのも、無理からぬことだろう。・・・(中略)・・・自分の提案に関心を向けてもらうには、提案を受ける側、つまり上司に当たる人々がリスクや失敗についてどのような見方をしているのか押さえておく必要がある。
確かにそうなんだと思います。加えて、長い間、「出る釘」にならないように慎重にキャリアを歩いてきた人たちがトップの地位についている場合、今更新しい姿勢を身につけるのが難しく、どうしようもし難い人が上司になってしまう場合が多いのも事実です。そして、「理想のトップがいないから、独創性が活かされず、我が社が競争力を失う」、そういう誤解に発展します。
しかし、ここで僕が敢えて「誤解」と申し上げるのには理由があります。
「最初の一撃」として意味があるものであろうとすればするほど、含蓄の深いアイディアとなり、あるいは組織業務手法を変える必要が大きいモノになる場合が多い。その結果、意味のある提案であればあるほど、結局は、トップ一人、もっと言えば、その組織だけでは、所詮変えられない。そもそも、意味のある提案であるほど、組織のトップはもとより、上司が沢山介在する提案となる。しかし、関係する上司が全て理解があるということはあり得ない。
これらは、とても普遍的な現象であり、トップのリーダーシップ不在だけを嘆いても、何も問題は解決しないと思います。T.レビットは次のように言い切ってしまいます。
適応性とは違って、創造性は組織に似つかわしくないよう見える。・・・(中略)・・・創造性を重んじるべきだとする人々は、その主張を隠れ蓑にして本当は組織という概念を攻撃しているのである。 ・・・(中略)・・・ワンマン経営者が率いる小規模企業のほうが多くの場合、大企業よりも活気に溢れ革新的なのである。経営者が一人で切り盛りをしている以上、その直感や独断によって企業の方向性が決まるケースが多く、組織は無いも同然なのだ。
「ほらみろ、だからベンチャーだ」、次に、そういう声も聞こえてきそうです。確かに、この論文は、本格的なベンチャーブームの前に書かれたものであります。しかし、今、T.レビットに聞くと、「あれは間違っていた」と言うのでしょうか。僕は、あまりそういう感じはしません。
実は、個人的に、在米時代、多くのベンチャー企業やVC、投資家の皆さんと一緒に勉強させていただいたことがあります。その時に強く感じたことが、ベンチャー企業は、実に様々な組織に取り囲まれて仕事をしているということです。
確かに、ベンチャー企業内部には、組織も規律も余りありません。しかし、アーリーステージの企業にはアーリーステージなりに、怖い投資家がついていますし、成長段階を上り始めれば、様々な投資家、法律家、会計の専門家から取引先まで、実に様々な関係者とのつき合いが発生してきます。そして、より大きな変化を目指そうとすればするほど、より階層レベルの高い投資家やビジネス支援の専門家にトライしていかなければならない。その現場を僕はつぶさに見てきましたが、正直、大企業の役員会の方がまだ楽なのではないかと思うことがしばしばでした。
結局、大きな市場や社会を動かそうとすれば、個人一人ではどうしようもありません。多くの関係者を動かそうとすれば、その関係する一人一人に、そうしなければならない動機付けを与えることが必要になります。「組織」というのは、そもそも、そういう動機付けに要する社会的コストを下げるために編み出されたモノ。企業の内外を問わず、その動機付けの構造が設計できない限り、現実は何一つとして変わりません。T.レビットは、続けてこうも言います。
往々にして誤解されているようだが、事業運営の手法や方針を大きく転換しても、組織の大変革が求められるわけではない。大組織は、少なくとも短期的に進む方向や組織を180度変えるのは不可能で、これがむしろ強みだとも言える。
そもそも、大企業同士の中にも、これが同じ企業かというくらい、実に様々な組織があります。一度組織を選ぶと、なかなか組織の選び直しが効かないといった組織選びにおける情報の非対称性の問題は別途あるかもしれません。が、それが故に、一度入った組織に不満だけぶつけ転職したところで、そう革新的に事態が改善することは少ないだろうと思います。つまり、どこに行っても、本質的な環境は余り変わらない。
「組織」をゼロから作り直しながら、大きなことに取り組む、もちろん、そういう選択肢もあって良いと思います。しかし、全員がそうでなければイノベーションは起きないということは無いでしょう。組織を作り上げるのは、それはもう、ものすごい時間と労力がかかります。費用対効果から言うと、課題が大きければ大きいほど、それは非常に成功確率の低い話になります。むしろ、大多数のヒトにとって、イノベーションとは、既存の組織やネットワークを如何に効果的に活用しながら、実現したいことを一歩一歩前に進めるか、そういうゲームなのではないでしょうか。
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